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芭蕉を聴く [ハーモニーな活動]

私達夫婦お気に入りの地元のカフェで
月1回、夜に朗読会が開かれていました。
昨年から、ずっと出たいと思っていたのに
なかなか日程が合わなかったのですが
先日、ようやく参加することができました。

うす灯りの中、
感じのいいご夫婦が1組、また1組とお店に入ってきます。
観客はお店の人を含めわずか12名。
なんとも贅沢です。

ちょっとした羽織物に着替えられた朗読の先生が
すーっと入ってきて、語り始めます。
その場のなんとも言えない豊かさに心踊りながら、私は座っていました。

その日の朗読のテーマは「芭蕉」。
(先生は芭蕉については40年のおつきあいだそうです。)
俳句はもちろん、弟子との連句や晩年の生活についてなど
1時間20分、あっという間でした。

その後は、先生を囲みながら
赤ワインとパンにナッツという、なんとも大人っぽい雰囲気で
座談会となりました。

芭蕉について調べてきている参加者の方々は
様々な質問をして、先生から色々な話を引き出してくれました。
その中で特に心に残ったのは
芭蕉が晩年にたどり着いた「軽み」の境地。

旅を続け、たくさんの経験を重ねた芭蕉は
最後に「宇宙の流れ(意思)」を受け止め
「自然を感じながら」生きることを大切にしていったそうです。

芭蕉は、俳句でそれを表現しているのだ
との先生の話に、芭蕉の偉大さを感じました。

とはいえ、私は芭蕉について深く知っているわけではないので
俳句の中身も、その深さも、その場すべては分かりません。
ただ、先生の流れるような語りに耳を傾けていただけでした。

ところが、朗読も後半にさしかかった頃
「幻住庵記」という、芭蕉の随筆のような文章の朗読が始まったときに
私の頭上から、言葉が音楽のように降ってくるのを感じたのです。
言葉が、次から次へと身体の中に滲み込んでくるのです。

文章の内容や意味など、ほとんど分からないのですが
ただ言葉だけが、キラキラと身体に滲み込み、胸に響きます。

そのことを、後で先生にお話ししたところ
この文章は、芭蕉が4回も推敲を重ねたもので
研究者の中には
この文章の内容はそれほどたいしたものではないと
言った者もいるようだが
この「幻住庵記」は声に出してこそ、
初めてその言霊が心に滲み込むものであり
だからこそ、4回も推敲を重ねたのです
と断言されていました。

言葉の意味以上に、その言葉を音にしたときの「波動」
それが宇宙と共鳴する波動なのだということを
この朗読会では全身に感じさせてもらいました。
(聖書に出てくる「はじめに言葉があった」というのも
 この波動のことなのでしょうか・・・。)

読経やマントラ、歌に祈り・・・
すべてはこれらの波動が響きあい、魂に届くのではないか。
そんなことを感じました。

先生は、この朗読の会に出られる際には
1週間も前から心身を清め、整えて臨まれるのだと聞きました。
今回、私が全身で感じた言霊や波動は
読み手が心身を整え、
鍛錬を積み重ねたからこその賜物なのだということを
先生の朗読を通して教えられた気がします。

by:ゆ

 


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